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2012年6月2日土曜日

小笠原コーヒー

●原種:アラビカ種、栽培:無農薬露地栽培、約1カ月程度天干し コーヒーは世界70カ国以上で生産されています。これらの国々は、赤道をはさんだ南北両回帰線25度にある熱帯地方、亜熱帯地方に位置し「コーヒーベルト」と呼ばれます。小笠原は、この位置からは外れた北緯27度に位置しますが海洋性の温暖な気候により他。
小笠原と「コーヒー」の歴史は130年と非常に古く、明治11年小笠原が日本の領有として確定したころに始まったとされます。
当時小笠原には、榎本 武揚公の立案によりさまざまな熱帯植物が試験的に導入されその中にコーヒーの木も含まれ栽培され見事に成功しました。その後、戦争などの被害にあい、また村人たちが疎開の為この地を離れ大地はジャングルと化しました。しかし、戦後アメリカから日本に返還され島に戻った際に、コーヒーの木は絶滅することなく残り自生してきました。この木から大切に今日まで成長させ育て少しずつ増やしているのが、野瀬農園(農場主:野瀬 昭雄)です。
生豆は最高品質のアラビカ種。
酸味が低く胃に優しいコーヒー。

■小笠原産コーヒー
産出量 :200kg(推定)
原種  :アラビカ種
栽培方法:無農薬露地栽培
精製方法:ウォッシュド
その他 :精製段階において、果肉除去や脱殻に一部機械を導入しているが、
     収穫は全て一粒ずつ手摘みされ、コーヒー豆の乾燥段階では
     約1カ月程度かけ天日で乾燥される。
生産地
野瀬農園 (NOSE’s Farm Garden)
住所:〒100-2101 東京都小笠原村父島字長谷
(TEL/FAX)  04998-2-3485
mailto:nosefarm@yahoo.co.jp
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〔野瀬農園のコーヒー〕
 わたし達の島「おがさわら」は、明治11年頃日本で初めてコーヒーの栽培が試みられた地でもあるようです。
 我が家の向かいには今でもその名を「コーヒー山」という地名があるほどで、このあたりを中心に導入から4年後には45kgの収穫があったとのことです。
 しかしその後は試験栽培の域を出ることもないまま、やがて戦争が始まってしまいました。そんな中でコーヒーの木は絶滅してしまっても仕方のない状況だったことでしょう。ところが、戦前我が家の庭に先祖が残してくれたコーヒーの木は、その最悪の環境にも負けることなく、ひっそりとたくましく生き続けていたのです。
 この発見は、まるでわたし達のルーツが自然と共にこの地でたくましく生きたことの証しにも感じられ、このコーヒーの木を家族のように大事に育てたいと思いました。

初めは半信半疑でその種をビニールポットに入れ育苗を始めてみました。毎日毎日その生長を気にするあまりか、なかなか変化を見せてくれません。終には諦め半分で、その存在を忘れかけていた頃のこと、ふと気付くと土から種をしっかりと持ち上げ、ふんばって発芽していました。
 それから双葉を出し本葉をつけて、少しずつ少しずつ生長した苗が1年経ち、ようやく定植することが出来ました。それからあっという間に4~5年が過ぎ、一昨年あたりから収穫を迎えることが出来たのです。
 こうして毎年植付け場所を開墾しては本数を増やし続けています。
〔コーヒーの実が出来るまで〕
 小笠原のコーヒーは100%天然の空の下で育ちます。春先になると、ジャスミンに似た芳香を漂わせ、白く可憐な花を無数につけます。この花が数日で散ると、ここにコーヒー豆となる実がついていきます。
 まだ緑色の実を夏の間に太らせて小指の先程になると、秋になるにしたがって次々に赤く色づいていきます。
 コーヒーチェリーと呼ばれるこの実を、10月頃から収穫し始めます。
〔作業あれこれ〕
 コーヒーの実は一枝に何粒もびっしりとつきますが、赤いコーヒーチェリーに色づくタイミングは粒によって様々です。赤く熟した実から一粒ずつ丁寧に手で摘み取ります。
 このコーヒーチェリー1粒には中に2粒のコーヒー豆が向かい合って入っています。赤い果肉部分を剥き、取り出した中の豆を天日に干して乾燥させ、さらにもう一枚のうす皮を剥くとコーヒーの生豆が出来上がり。
 これを焙煎し、我が家の天然水でコーヒーを注ぐと、ようやく100%ホームメイドのコーヒーがいただける…というわけです。
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