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2012年7月22日日曜日

鹿児島県鹿屋市の御神木

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名称 熊野神社のイヌマキ
    (くまのじんじゃのいぬまき)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 イヌマキ
樹高 25m(注2)
目通り幹囲 6.8m(注3)
推定樹齢 伝承500年(注2)
所在地の地名 鹿児島県鹿屋市新生町
 〃 3次メッシュコード 4730-06-57
 〃 緯度・経度 北緯31度22分59秒
           東経130度50分51秒
鹿屋市指定天然記念物(1968年5月27日指定)
撮影年月日 2009年7月26日

注1)天然記念物指定名称は単に「イヌマキ」。それでは他と区別が付かないので、所属する神社名を冠させてもらった
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注3)2000年に実施された環境省フォローアップ調査結果より

熊野神社は、高台の鹿屋中央公園内、鹿屋市武道館の西に鎮座している。
 武道館と体育館、それに駐車場の3つが接する辺りに開いた参道を進むと、間もなくこのイヌマキが見えてくる。
 幹に注連縄が掛けられている。御神木とされているようだ。
 1991年に旧環境庁が刊行した「日本の巨樹・巨木林」では、幹囲データが9.0mとなっていたが、実際はそれほど太くない。そのため、幹囲データだけ2000年資料を転記した。
 上図で空洞になっている部分には、かつて、もう1本、上に向かって立つ幹があったのではなかろうか(あるいは、それは別の樹種だったのかもしれないが)。今は中心線を失い、形のバランスが崩れてしまった。
 横に向かった幹は、みな支柱に支えられている。衰退期に入ったことは否めない。
 でも、イヌマキとしては、全国最大級の巨木である。少しでも長生きしてもらいたいものだ。 



宮崎県東臼杵郡の御神木

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名称 向山神社の壱の杉
    (むこうやまじんじゃのいちのすぎ)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 スギ
樹高 30m(注2)
目通り幹囲 7.2m(注2)
推定樹齢 伝承800年(注2)
所在地の地名 宮崎県東臼杵郡椎葉村不土野(神興)
 〃 3次メッシュコード 4831-50-83
 〃 緯度・経度 北緯32度29分30秒
           東経131度02分14秒
椎葉村指定天然記念物?(注3)
撮影年月日 2011年8月9日

注1)案内板(設置者名・設置年月とも不詳)には単に「壱の杉」とあったが、私のサイトでは神社名を冠した
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注3)上記案内板には「村指定天然記念物」とあるのだが、椎葉村公式ホームページの文化財リストには載っていない

向山神社はずいぶん山奥の神社である。
 祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。ヤマトタケルは東征を終えて帰郷する際、病を得て客死。その魂が白い鳥となって倭(やまと)に帰ったとされていることから、白鳥と結びつけられることが多い。ここでも、向山神社と改称する前は、白鳥権現と称していたらしい。
 平家の落人伝説もあるようだ。
 案内板によれば、ここまで逃れきた落人が、逃避行に疲れ(?)、こはやこれまでと自決を図るが、向こうの山に落人が隠れ住んでいると聞く。それが、向山(むこうやま)の地名になったとか。それで自死を思いとどまったかどうかについては、何も書かれていない。
 それとは別のグループの話だろうか、当地で果てた落人もいたらしい。その霊を、故郷を前に無念の死を遂げたヤマトタケルになぞらえて慰めた。せめて魂だけでも、翼を得て、懐かしい都に帰ることができるように、ということだろう。
 それがこの白鳥権現の始まりという。元久元年(1204)のことだそうである。
 現在、自動車道は神社の背後を通っている。そこから歩くと、参道を逆向きに下ることになる。
 その一番下に、この杉が立っている。本来の向きでは、この杉が最初に目に入ることになるので「壱の杉」かと思っていたが、案内板によれば、一番大きいかららしい。
 枝先が大きくしなって下がっている。枝垂れていると言ってもいいかも知れない。枝が片側に偏しているのは、陽光を求めてのことだろう。
 なかなか堂々たる姿である。



熊本県熊本市の御神木

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名称 小木阿蘇神社の楠 (おぎあそじんじゃのくす)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 クスノキ
樹高 26m(注2)
目通り幹囲 9.0m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 熊本県熊本市南区城南町藤山(注3)
 〃 3次メッシュコード 4930-05-19
 〃 緯度・経度 北緯32度41分06秒
           東経130度44分46秒
城南町指定天然記念物(1967年2月1日指定)
撮影年月日 2009年7月30日

注1)城南町教育委員会が設置(設置年月不詳)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注3)2010年3月23日、熊本市に合併。旧行政区は下益城郡城南町。その後さらに2012年4月1日、政令指定都市への移行に伴い、住所表示が一部変更された

小木阿蘇神社は塚原古墳公園(その下を塚原トンネルで九州自動車道が通る)から東南東に約1km。緩やかな起伏の中にある静かな神社である。
 延元4年(1339)に豊田庄地頭職菊池武光が勧請したのが始まりのようだ。その際、武光から広大な土地の寄進を受けたと伝えられている。ただし、その翌年に武光の子武政が勧請したとする異説もあるらしい。(平凡社「熊本県の地名」より)

大クスノキは参道の途中。
 根元の一部を舗装されてしまったにもかかわらず、素晴らしい樹勢を誇っている。
 単幹で立ち上がり、地上7~8mのところで大きく枝を広げている。枝の殆どは健全で、樹冠の広がりは背丈を凌ぐほどだ。
 訪れたのはちょうどお昼時。左下図の建物の中では、放課後学級の夏休み教室が食事中。久しぶりの再会だったのか、歓声が飛び交っている。
 クスノキの下では、3人の若者がお弁当を食べていた。何かの工事で近くに来たと見える。お昼休みになったのだ。私のカメラを見て、自発的に場所を少し動いてくれた。優しい心遣いが嬉しい。
 戻ってみると、教室はやけに静かだ。今度は先生(それとも先生役のお母さん?)の声が聞こえる。あまりに騒々しすぎて、お説教を受けているところだった。みんな神妙な顔をして先生の話を聞いている。
 クスノキもすばらしいが、その回りに住む人たちもすばらしい。
 とても清々しい気持ちにさせてくれるクスノキだった。



佐賀県伊万里市の御神木

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名称 青幡神社の楠 (あおはたじんじゃのくす)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 クスノキ
樹高 15m(注2)
目通り幹囲 10.9m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 佐賀県伊万里市東山代町里
 〃 3次メッシュコード 4929-76-46
 〃 緯度・経度 北緯33度17分15秒
           東経129度50分05秒
佐賀県指定天然記念物(1965年7月23日指定)
撮影年月日 2009年8月1日

松浦鉄道里駅の北300m、国道204号の西に青幡神社がある。
 松浦党の2代党祖源直(みなもとのなおす)が久安年間(1145~50)に、東山代町の里に支配地の政庁を置いた。その鎮守として創建したのが始まりという。
 祭神は松浦源氏の祖とされる源融(みなもとのとおる)。
 青幡神社の社号は、神宮皇后の朝鮮出兵のとき、天岩戸の神事に因んで、青幡・白幡を左右の先鋒旗とした故事によるという。(平凡社「佐賀県の地名」より)
 確かに、青幡神社から南東に1.8kmほど離れたところには、白幡神社も現存する。
 境内に、1本のクスノキ巨木が立っている。
 主幹を失い、背丈は低いが、縦横に伸びた大枝が大きな樹冠を支えている。樹勢も良さそうだ。堂々たるものである。
 これだけの面構えを見せつけられると、こちらもつい姿勢を正さずにいられなくなる。
 国道からも大クスの姿が見える。(脇見注意)



大分県大分市の御神木

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名称 柞原八幡宮のクス (ゆすはらはちまんぐうのくす)
名称の典拠 天然記念物指定名称
樹種 クスノキ
樹高 30m(注1)
目通り幹囲 21.0m(注1)
推定樹齢 伝承3000年(注1)
所在地の地名 大分県大分市八幡(やはた)
 〃 3次メッシュコード 4931-64-84
 〃 緯度・経度 北緯33度14分13秒
           東経131度33分03秒
国指定天然記念物(1922年3月8日指定)
撮影年月日 2010年3月25日

柞原八幡宮の祭神は仲哀天皇(=帯中日子命、たらしなかつひこのみこと)、応神天皇(=誉田別命、ほんだわけのみこと)、神功皇后(=息長帯比女命、おきながたらしひめのみこと)の3柱。
 由原(ゆすはら)八幡縁起によると、天長4年(827)、近江国の延暦寺僧金亀が宇佐宮に千日参籠した。同7年(830)3月3日に示現があり、同7月7日には大菩薩の初衣である八足の白幡が宇佐宮から当地の大楠に飛んできたのを見て、その下に大菩薩を祀ったことに始まるという。
 平安末期までには豊後国一の宮とされるに至ったらしいが、鎌倉時代に入ると、地頭らが免田や塩浜を押領するなど、衰微が進んだ。
 南北朝時代に入り、大友氏が保護に動くようになると、神社は復興した。大友宗麟のキリスト教帰依で一時期寂れたこともあったが、その後は豊後国一の宮として順調に栄えたようだ。(平凡社「大分県の地名」を参考)

参道石段を上ると、途中に日暮門(ひぐらしもん)と呼ばれる南大門があり、その少し手前、向かって左手に国天然記念物の大楠が立っている。
 草創縁起にある、宇佐神宮から白幡が飛んできたという大楠とは、この木のことだろう。
 傾斜面に立つため、どこを測るかによって幹囲データは違ったものになる。旧環境庁時代の測定データでは21.0m。案内板には18.5mとあった。
 いわゆる「引き」がとれないので、比較対照物を写し込めず、私の写真技術ではその大きさを伝えるのが困難だが、大分県内で一番の巨木だ。
 地上10mほどで大きく2幹に分かれており、現在、そのうちの1本は既に失われてしまった。巨体の割に樹冠は小さい。老境に入った徴しである。
 苔を纏い、複雑に凹凸を重ねた根元には力強さが感じられる一方、黒々した開口部からは、内部に大きな空洞を抱えていることも予感される。柞原八幡宮の公式WEBサイトの説明では、大人が十数人入ることが出来るほどの空間があるそうだ。
 なお、境内には、この大楠のほかにも、ホルトノキや大杉があり、社叢全体が大分県指定特別保護樹林とされている。



福岡県北九州市、大山祇神社の公孫樹

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名称 大山祇神社の公孫樹
    (おおやまづみじんじゃのいちょう)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 イチョウ
樹高 37m(注2) 実際はもっと低い
目通り幹囲 8.5m(注2) 実際はもっと細い
推定樹齢 100~199年(注2)
所在地の地名 福岡県北九州市小倉南区呼野
 〃 3次メッシュコード 5030-46-98
 〃 緯度・経度 北緯33度45分05秒
           東経130度51分30秒
福岡県指定天然記念物(1962年7月26日指定)
撮影年月日 2010年3月20日

JR日田彦山線呼野(よぶの)駅の南西、東面する山の中腹に大山祇神社が鎮座する。神社からは、金辺峠(きべとうげ)に至る狭い谷の様子がよくわかる。
 谷の向こう、神社の東2.5kmほどの高台には、三菱マテリアル東谷鉱山がある。
 平凡社「福岡県の地名」によると、この地における採鉱の歴史は古く、和銅年間(708~15)には銅の採掘が行われたらしい。山をほじくり返すのであるから、山の神様のご機嫌をそこねてはいけない。大山祇神社は、その頃、鉱山守護のために創立されたようだ。天平年間(729~49)には、宇佐宮の神鏡鋳造のため銅を採掘したとも伝えているという。
 産出するのは銅だけではないようだ。慶長年間(1596~1615)には細川忠興が金採掘にあたって大山祇神社の境内を拡張したという話も伝わっている。金山の最盛期には、5~6千人の採掘夫がいたという。
 金辺峠の名も金山と関係があるのだろうか。また、峠の先、香春町には「採銅所」の地名も残っている。
 イチョウの話が遅くなった。
 写真で見ると姿は立派だが、既に中心幹は枯死、幹は人工物を充填して形が整えられている状況。参道側に伸びる大枝は元気が良さそうだが、そのため重量バランスがよくない。根元付近も空洞があちこちに開き、根が支える力も心許いように見える。
 案内板には、平成7年(1995)と9年(1997)の二度にわたる本格的な治療でよみがえったと記されていた。以前は、もっと弱っていたのだろうか。
 地形的に盆地のような場所なので、それほど強風は吹かないのかも知れないが、少々心配な気もする。



高知県香美市の御神木

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名称 大日寺の大杉 (だいにちじのおおすぎ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 60m(注2)
目通り幹囲 9.4m(注2)
推定樹齢 800年(注3)
所在地の地名 高知県香美市物部町神池(注4)
 〃 3次メッシュコード 5032-47-60
 〃 緯度・経度 北緯33度43分40秒
           東経133度52分48秒
高知県指定天然記念物(1972年5月6日指定)
撮影年月日 2010年7月27日

注1)1982年6月、高知県緑化推進委員会と物部村が連名で設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による
注3)上記案内板による
注4)2006年3月1日、香美郡内の2町1村が合併して香美市誕生。旧行政区は香美郡物部村(ものべそん)

永瀬ダム湖の北、大倉山(標高602m)の北麓に女池(雌池)があり、その西に大日寺(大日堂)がある。
 かつて、この近くに神通寺という大きな寺があったようだ。ずいぶん立派な寺だったようだが、12世紀初頭には既に荒寺となっていたようだ。江戸時代後期までには廃寺となってしまったようだが、現在も神通寺の地名が残っている。
 この大杉と大日堂も神通寺の遺産の一つだ。
 大杉は、御堂に向かって右手の斜面に立っている。大杉まで細い踏み分け道があり、幹に直接触れることも出来る。
 大枝を比較的多く残し、今のところ、樹勢も良さそうだ。
 大杉が林立する物部川流域にあって、その頭領格の1本であろう。



徳島県阿波市の御神木

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名称 案内神社の大クス
    (あんないじんじゃのおおくす)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 クスノキ
樹高 30m(注2)
目通り幹囲 8.1m(注2)
推定樹齢 500年(注3)
所在地の地名 徳島県阿波市吉野町柿原字シノ原(注4)
 〃 3次メッシュコード
       5134-12-17
 〃 緯度・経度
       北緯34度05分43秒
       東経134度20分18秒
徳島県指定天然記念物
       (1958年7月18日指定)
撮影年月日 2010年7月30日

祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)。
 案内神社とは変わった社号だが、平凡社「徳島県の地名」に説明があった。
 寛保(1741~44)の改神社帳(じんじゃあらためちょう)には、案内宮の名で掲載され、藤原親家の霊を祀っていると記されているらしい。
 親家は、平清盛に敵対する同志が鹿ヶ谷に集まって謀議したとされるメンバーの一人、藤原西光(出家前の名は師光)の6男で、寿永4年(1185)、源義経が屋島の戦いに赴く際、その案内をしたとされている。
 祭神の猿田彦命は天孫降臨の道案内をつとめ、親家の父西光は、いわば平家打倒の先導の役割を果たした。いわばこれら案内人たちに因んだ社号らしい。
 この話にクスノキは出てこない。
 クスノキは、純粋にその巨体ゆえに県の天然記念物に指定されたわけだ。
 境内の最奥部で、外側に少し傾いて立っている。



山口県山口市の御神木

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名称 龍蔵寺のイチョウ (りゅうぞうじのいちょう)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 イチョウ
樹高 45m(注2)
目通り幹囲 6.7m(注2)
推定樹齢 900年(注3)
所在地の地名 山口県山口市吉敷字上瀧
 〃 3次メッシュコード 5131-13-93
 〃 緯度・経度 北緯34度10分04秒
           東経131度24分42秒
国指定天然記念物(1942年7月21日指定)
撮影年月日 2011年7月29日

真言宗御室派瀧塔山龍蔵寺(ろうとうざんりゅうぞうじ)境内に、国指定天然記念物のイチョウがある。
 指定の際に添えられた解説文には、「(前略)推定樹齢一、〇〇〇年、樹勢旺盛ニシテ公孫樹ノ老樹トシテ稀有ノモノナリ」とある。老樹にしてなお樹勢が良いというのが理由であるように思われる。
 しかし、各地にこれを凌ぐ大イチョウは数多い。正直に言って、何故このイチョウが国指定となったのかよくわからない。ただ、当地ではとにかくそれを誇りに思い、大切にされていることだけは間違いなさそうだ。
 案内板によれば役行者(えんのぎょうじゃ)が植えたと伝承されているという。
 役行者こと役小角(えんのおづぬ)は7世紀頃の人物である。その手植えなら、樹齢は1300年を超え、日本最長寿のイチョウということになるが、その時代の日本に既にイチョウがあったかどうかは甚だ疑わしい。もちろん史実ではあるまい。これもイチョウを誇りに思う気持ちの表現の一つと見るべきなのだろう。案内板は、推定樹齢を900年に訂正してあった。(実際には、もっとずっと若いように思う)
 主幹が上部まで伸び、国の天然記念物のイチョウでは最も背が高いとされている。指定時の樹高は50mとされていた。イチョウとしては、ずば抜けた高さだ。
 残念なことに、昭和62年(1987)の台風で大枝が折れ、樹高がやや低くなってしまったという。
 ただし、葉の茂り具合から素人判断する限りでは、全体の樹勢に影響を及ぼすほどの被害ではなかったようだ。当分の間は、元気な姿を見せ続けてくれそうである。



広島県庄原市の御神木

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名称 天戸神社の大スギ (あまとじんじゃのおおすぎ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 25m(注2)
目通り幹囲 6.0m(注2)
推定樹齢 不明
所在地の地名 広島県庄原市西城町大佐(注3)
 〃 3次メッシュコード 5233-31-30
 〃 緯度・経度 北緯34度56分54秒
           東経133度07分59秒
庄原市指定天然記念物(1980年9月19日指定)
撮影年月日 2011年8月25日

国道183号からは対岸にあたる、西城川左岸の斜面中腹に天戸神社が鎮座している。
 スギ人工林の中を真っ直ぐ伸びる参道を進むと、社殿の左手(向かって右)に、人工林のスギたちとは異なる姿の大杉が立っている。
 地上4mほどで大きく2分岐し、その先でいくつかの支幹に分かれている。幹の一部に緑色の帯が見られるが、この帯は、樹冠が集めた雨水が幹の表面を伝い流れるときの流路なのだろう。
 天戸神社の神木とされている。