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2012年8月12日日曜日

2017-2 C62 2号機 北海道形 蒸気機関車

【実車ガイド】
C62は、昭和23年(1948)に、華々しくデビューしました。東海道本線、山陽本線はもとより、晩年は北海道でのC62重連による急行列車「ニセコ」の牽引など、多くのファンが集まりました。特急〈つばめ〉〈はと〉をはじめ、ブルートレインや幹線の特急・急行列車まで、常に花形として第一線で活躍しました。

【製品特徴】
・北海道・函館本線・小樽築港機関区時代の北海道の気候に合わせた耐寒耐雪装備の重厚な姿を表現。 ・デフレクターに輝くつばめのマークはもちろんのこと、ランボード側面の白線など、2号機らしさを再現。シールドビーム副灯(非点灯)、テンダーの重油タンク、スノープロウなど特徴ある装備を装着。 ・D51 498(#2016-1)に準じた新規の動力ユニットを採用。よりスムーズで強力な牽引力を発揮。 ・アーノルドカプラー標準装備。 KATOナックルカプラー付属。重連運転を考慮し先頭部にもカプラー装着。     格安オーディオは、オーディオ専門店でんき堂スクェア♪   

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(N) 2011 C55旅客用蒸気機関車

【商品紹介】
C55は1750mmの大径動輪を持つ、軽快な印象の旅客用蒸気機関車です。昭和10~12年(1935~1937)に62両が製造されました。
C55からは砂箱と蒸気ドームは一体化、ランボード直線化が行われ、その姿は後の日本形蒸気機関車のスタイルを近代化させるベースとなりました。
動輪は美しいスポーク式ですが強度を増すために水かきのような補強を施しています。
2次形は当時流行の流線形として設計されましたが、のちに全機標準形に改造されました。
現在梅小路蒸気機関車館の他、北海道九州で計4両が保存されています。

【商品特徴】
低速走行時におけるダイナミックなロッドの動きも見事に再現
迫力ある質感と立体感あふれるディテール、実車のもつ繊細な外観を的確に模型化
軽快なスポーク動輪や独特のドーム形状など、実物の持つ繊細さを再現
下回りを引き締める黒ニッケル車輪を採用
スポーク先輪を表現
ヘッドライト点灯
重連運転が可能(重連用カプラー付属)
【商品仕様】
スケール:1/150 9mm(Nゲージ)
商品形態:塗装済完成品
車体の材質:プラスティック     格安オーディオは、オーディオ専門店でんき堂スクェア♪   

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(N) 2002 国鉄 C11形蒸気機関車

【商品の特徴】
主にローカル線や入換用として活躍したタンク式蒸気機関車・C11です。現在は大井川鐵道、JR北海道、真岡鐵道などで動態保存されています。

実車同様に小形で使いやすく、旅客列車にも貨物列車にも似合う「万能機関車」です。
立体感あふれる台枠と実感的な黒色仕上げの動輪と車輪、そして細密かつ頑丈なロッド類により、コンパクトな車体ながら蒸気機関車のダイナミックな走行を楽しむ事ができます。
ヘッドライト(前・後)点灯
機関車と客車の連結部はアーノルドカプラー
ナンバープレート(155、227、259、312号機)付属
黒色車輪採用
【実車解説】
動輪3軸に先輪1軸・従輪2軸(1C2)という軸配置を持つC11は、わが国のタンク式蒸気機関車を代表する車両で、昭和7~22年(1932~1947)に381両が製造されました。
国鉄時代は小形で客貨両用に使用できるために重用され、全国で活躍しました。現在でもJR北海道、JR東日本、真岡鉄道、大井川鉄道などで運転が行われており、人気を博しています。

【商品仕様】
スケール:1/150 9mm(Nゲージ)
商品形態:塗装済完成品
車体の材質:プラスティック
モーター:搭載
ライト:ヘッドライト(前・後)点灯
機関車と客車の連結部はアーノルドカプラー標準搭載     格安オーディオは、オーディオ専門店でんき堂スクェア♪   

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2012年8月5日日曜日

絶対いつか行きたい世界遺産ベスト100―「地球の宝物」に出会える本


小笠原諸島への飛行機便って、あるのかな?

なんて思いますよね~。。


だって南海の孤島?

東京から1000キロも離れてるんですよ?

それなのにーー どうして飛行機がないのよー

船でしか行くことが出来ない上に、便が平均で6日に1回しかない小笠原諸島。

でも、それは豊かな自然への敬意からなのです。。

25時間30分。
飛行機なら地球の裏側まで行ける時間をかけて定期貨客船「おがさわら丸」

最大で約1050人の乗船が可能な「おがさわら丸」の運賃は
2万4270~6万8450円。

東京・竹芝桟橋から南へ千キロ。

北太平洋上に散在する30を超える島々からなる小笠原で、
人が住むのは父島(約2千人)と母島(約460人)だけ。

小笠原村によると、年間の観光客数は約1万5千人で父島と母島には計71軒(計1193人収容)の宿泊施設がある。

「母島のカタツムリを守るために-靴底の泥落としのお願い-」


父島から母島に渡航する際にもマットで靴底の種子などを落とすように求められる。

同じように外来生物の侵入を防ぐための協力のお願いが書かれた看板などは、
島内に多数あります。

「さまざまな規制はあるが、島民全体で自然を守っている」

外からは分かりにくい島民の努力の一つ一つが、
世界遺産登録に結びついていることを思い知った。     格安オーディオは、オーディオ専門店でんき堂スクェア♪   

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2012年7月22日日曜日

鹿児島県鹿屋市の御神木

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名称 熊野神社のイヌマキ
    (くまのじんじゃのいぬまき)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 イヌマキ
樹高 25m(注2)
目通り幹囲 6.8m(注3)
推定樹齢 伝承500年(注2)
所在地の地名 鹿児島県鹿屋市新生町
 〃 3次メッシュコード 4730-06-57
 〃 緯度・経度 北緯31度22分59秒
           東経130度50分51秒
鹿屋市指定天然記念物(1968年5月27日指定)
撮影年月日 2009年7月26日

注1)天然記念物指定名称は単に「イヌマキ」。それでは他と区別が付かないので、所属する神社名を冠させてもらった
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注3)2000年に実施された環境省フォローアップ調査結果より

熊野神社は、高台の鹿屋中央公園内、鹿屋市武道館の西に鎮座している。
 武道館と体育館、それに駐車場の3つが接する辺りに開いた参道を進むと、間もなくこのイヌマキが見えてくる。
 幹に注連縄が掛けられている。御神木とされているようだ。
 1991年に旧環境庁が刊行した「日本の巨樹・巨木林」では、幹囲データが9.0mとなっていたが、実際はそれほど太くない。そのため、幹囲データだけ2000年資料を転記した。
 上図で空洞になっている部分には、かつて、もう1本、上に向かって立つ幹があったのではなかろうか(あるいは、それは別の樹種だったのかもしれないが)。今は中心線を失い、形のバランスが崩れてしまった。
 横に向かった幹は、みな支柱に支えられている。衰退期に入ったことは否めない。
 でも、イヌマキとしては、全国最大級の巨木である。少しでも長生きしてもらいたいものだ。 



宮崎県東臼杵郡の御神木

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名称 向山神社の壱の杉
    (むこうやまじんじゃのいちのすぎ)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 スギ
樹高 30m(注2)
目通り幹囲 7.2m(注2)
推定樹齢 伝承800年(注2)
所在地の地名 宮崎県東臼杵郡椎葉村不土野(神興)
 〃 3次メッシュコード 4831-50-83
 〃 緯度・経度 北緯32度29分30秒
           東経131度02分14秒
椎葉村指定天然記念物?(注3)
撮影年月日 2011年8月9日

注1)案内板(設置者名・設置年月とも不詳)には単に「壱の杉」とあったが、私のサイトでは神社名を冠した
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注3)上記案内板には「村指定天然記念物」とあるのだが、椎葉村公式ホームページの文化財リストには載っていない

向山神社はずいぶん山奥の神社である。
 祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。ヤマトタケルは東征を終えて帰郷する際、病を得て客死。その魂が白い鳥となって倭(やまと)に帰ったとされていることから、白鳥と結びつけられることが多い。ここでも、向山神社と改称する前は、白鳥権現と称していたらしい。
 平家の落人伝説もあるようだ。
 案内板によれば、ここまで逃れきた落人が、逃避行に疲れ(?)、こはやこれまでと自決を図るが、向こうの山に落人が隠れ住んでいると聞く。それが、向山(むこうやま)の地名になったとか。それで自死を思いとどまったかどうかについては、何も書かれていない。
 それとは別のグループの話だろうか、当地で果てた落人もいたらしい。その霊を、故郷を前に無念の死を遂げたヤマトタケルになぞらえて慰めた。せめて魂だけでも、翼を得て、懐かしい都に帰ることができるように、ということだろう。
 それがこの白鳥権現の始まりという。元久元年(1204)のことだそうである。
 現在、自動車道は神社の背後を通っている。そこから歩くと、参道を逆向きに下ることになる。
 その一番下に、この杉が立っている。本来の向きでは、この杉が最初に目に入ることになるので「壱の杉」かと思っていたが、案内板によれば、一番大きいかららしい。
 枝先が大きくしなって下がっている。枝垂れていると言ってもいいかも知れない。枝が片側に偏しているのは、陽光を求めてのことだろう。
 なかなか堂々たる姿である。



熊本県熊本市の御神木

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名称 小木阿蘇神社の楠 (おぎあそじんじゃのくす)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 クスノキ
樹高 26m(注2)
目通り幹囲 9.0m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 熊本県熊本市南区城南町藤山(注3)
 〃 3次メッシュコード 4930-05-19
 〃 緯度・経度 北緯32度41分06秒
           東経130度44分46秒
城南町指定天然記念物(1967年2月1日指定)
撮影年月日 2009年7月30日

注1)城南町教育委員会が設置(設置年月不詳)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注3)2010年3月23日、熊本市に合併。旧行政区は下益城郡城南町。その後さらに2012年4月1日、政令指定都市への移行に伴い、住所表示が一部変更された

小木阿蘇神社は塚原古墳公園(その下を塚原トンネルで九州自動車道が通る)から東南東に約1km。緩やかな起伏の中にある静かな神社である。
 延元4年(1339)に豊田庄地頭職菊池武光が勧請したのが始まりのようだ。その際、武光から広大な土地の寄進を受けたと伝えられている。ただし、その翌年に武光の子武政が勧請したとする異説もあるらしい。(平凡社「熊本県の地名」より)

大クスノキは参道の途中。
 根元の一部を舗装されてしまったにもかかわらず、素晴らしい樹勢を誇っている。
 単幹で立ち上がり、地上7~8mのところで大きく枝を広げている。枝の殆どは健全で、樹冠の広がりは背丈を凌ぐほどだ。
 訪れたのはちょうどお昼時。左下図の建物の中では、放課後学級の夏休み教室が食事中。久しぶりの再会だったのか、歓声が飛び交っている。
 クスノキの下では、3人の若者がお弁当を食べていた。何かの工事で近くに来たと見える。お昼休みになったのだ。私のカメラを見て、自発的に場所を少し動いてくれた。優しい心遣いが嬉しい。
 戻ってみると、教室はやけに静かだ。今度は先生(それとも先生役のお母さん?)の声が聞こえる。あまりに騒々しすぎて、お説教を受けているところだった。みんな神妙な顔をして先生の話を聞いている。
 クスノキもすばらしいが、その回りに住む人たちもすばらしい。
 とても清々しい気持ちにさせてくれるクスノキだった。