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2012年7月22日日曜日

静岡県静岡市、伊勢神明社の大クス

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名称 伊勢神明社の大クス
    (いせしんめいしゃのおおくす)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 クスノキ
樹高 30m(注2)
目通り幹囲 11.0m(注2)
推定樹齢 伝承1500年(注2)
所在地の地名 静岡県静岡市駿河区小鹿(おしか)
 〃 3次メッシュコード 5238-33-64
 〃 緯度・経度 北緯34度58分20秒
           東経138度25分39秒
静岡県指定天然記念物(1977年3月18日指定)
撮影年月日 2005年12月27日

東名高速道を挟んで、国立静岡大学の反対側、静岡大学の北約700mの位置に伊勢神明神社が鎮座している。住宅街の中の神社だ。
 祭神は天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)。文禄元年(1592)の創立と伝えている。
 伝承樹齢が正しければ、クスノキは神社創立のはるか以前から生きていたことになる。
 樹齢の真偽はともかく、10m以上もの幹囲を有するにも拘わらず、すばらしい樹勢である。旧環境庁資料にあった「枯死寸前」の文字は誤植だったのだろうか。
 確かに一部の幹には切断された痕が見えるが、大枝の殆どは健在である。横に伸びた大枝などは、文字通り境内を横切って、向かい側の建物の屋根にかかるところまで伸びている。
 市街地でこれだけの樹勢の巨木に出会えたのは驚きであった。




岐阜県高山市、飛騨国分寺の大イチョウ

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名称 飛騨国分寺の大イチョウ
   (ひだこくぶんじのおおいちょう)
名称の典拠 「日本の天然記念物」(注1)
樹種 イチョウ
樹高 37m(注2)
目通り幹囲 10.0m(注2)
推定樹齢 伝承1200年(注2)
所在地の地名 岐阜県高山市総和町
 〃 3次メッシュコード 5437-12-60
 〃 緯度・経度 北緯36度08分35秒
           東経137度15分14秒
国指定天然記念物(1953年3月31日指定)
撮影年月日 2003年7月28日

注1)1995年に講談社から刊行。現地の案内板(設置者及び設置年月不詳)も同じ名称を掲げてあった

飛騨国分寺(注3)は、天平13年(741)、聖武天皇の勅願により全国に建てられた国分寺の一つ。境内からは創建当時の巨大な七重塔の心礎石が発見された。天平の昔から今の場所にあった古刹なのである。本堂(薬師堂)前の大イチョウは、開基の行基菩薩が自ら植えたとする伝承があり、それが樹齢1200年の根拠とされている。
 実はこの大イチョウには、もう一つの悲しい話が伝わっている。
 天平の七重の大塔創建の際、大工の棟梁が誤って柱を短く切ってしまった。悲嘆にくれていたところを娘八重菊が枡組で補うアイディアを出し、おかげで塔は無事に完成した。塔の名声が高まるにつれ、棟梁は自身が犯した過失の秘密を守る必要を感じ、娘を殺して境内に埋めた。そしてその傍らに植えたイチョウが、薄命の娘に代わって長寿を保っているというのである。(国分寺拝観の際にいただいたパンフレットより)
 鎌倉時代以前にはイチョウはまだ日本に渡来していなかったとする説が有力なようなので、多く見積もっても、樹齢は700年以下ということになるが、はるか天平時代を思わせるほどの堂々たる巨樹であることは間違いない。
 孝行娘が化身した(?)大イチョウだが、雄株である。(注4)

注3)飛騨国分寺のホームページには大イチョウの情報がたくさん載っている
注4)講談社「日本の天然記念物」によれば、雄株だが、極小のギンナンをつけるらしい




福井県越前市の御神木

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名称 水間神社のケヤキ
    (みずまじんじゃのけやき)
名称の典拠 「福井県の指定文化財目録」(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 30m(注2)
目通り幹囲 7.0m(注2)
推定樹齢 200~299年(注2)
所在地の地名 福井県越前市室谷町(注3)
 〃 3次メッシュコード 5336-72-11
 〃 緯度・経度 北緯35度55分44秒
           東経136度16分00秒
福井県指定天然記念物(1964年6月5日指定)
撮影年月日 2007年5月27日

水間神社の入口に「ケヤキの里」の表示が出ている。参道両側には目通り4~5mとみられるケヤキの巨木。「里」かどうかはともかく、確かにケヤキの神社だ。
 頭領格は参道を進んだ奥、本殿の右手(向かって左)に立っている。腰には立派な注連縄が巻かれている。
 標記データは、旧環境庁が提示した調査要項に則り、高地側の地上1.3mの幹周りを測定したと思われる。ちょうど上図の注連縄の上あたりだが、ご覧のようにケヤキの殆どは、低地側から立ち上がっている。実際に目の前にした印象はもっと太い。
 これだけの巨木になれば当然と言えなくもないが、大枝をかなり失い、樹勢は衰勢に傾きつつある。
 適切な処置が為されて、一気に衰えることはないだろうが、越前市周辺第一のケヤキ巨木として、長くその姿を留めてほしいものだ。




石川県七尾市の御神木

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名称 阿良加志比古神社のスギ
   (あらかしひこじんじゃのすぎ)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 スギ
樹高 35m(注2)
目通り幹囲 6.5m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 石川県七尾市山崎町
 〃 3次メッシュコード 5537-30-62
 〃 緯度・経度 北緯36度58分40秒
           東経137度01分56秒
七尾市指定天然記念物(1973年7月25日指定)
撮影年月日 2003年9月14日

国道160号の「花園口」バス停から県道245号(花園藤野線)を、熊渕川沿いに1.5kmほど遡り、集落の切れる辺りで狭い道を対岸に少し上ったあたりに阿良加志比古神社がある。
 現在の地名は上記の通りで味も素っ気もないが、昔、このあたりは大呑(おおのみ)六郷と呼ばれていた。何やら飲んべえには嬉しくなるような地名である。今も南大呑公民館などにその名残が見える。
 閑話休題。
 御神木の大杉は社殿に向かって左横に立っている。地上5mほどで5幹に分かれている。ために「五本杉」と呼ばれることもあるようだ。
 朝日が昇って間もない時間に訪れた。ひどい藪という状況ではないのだが、蚊が多いのには参った。冷夏のあと、しばらく雨が続いたのち、急に気温が高くなったことが蚊の発生に利したのだろうか。虫除けスプレーで防御はしていたのだが、薬液のかからなかった部分を集中的に狙ってくる。団扇での防戦も空しく、数ヶ所刺されてしまった。「耳なし芳一」になった気分だった。




富山県高岡市の御神木

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名称 西海老坂神明社の大杉
   (にしえびさかしんめいしゃのおおすぎ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 33m(注2)
目通り幹囲 6.9m(注2)
推定樹齢 200~299年(注2)
所在地の地名 富山県高岡市西海老坂
 〃 3次メッシュコード 5537-10-30
 〃 緯度・経度 北緯36度46分47秒
           東経136度59分51秒
高岡市指定天然記念物(1969年10月11日指定)
撮影年月日 2003年5月4日

神明社の御神木。
 西海老坂(にしえびさか)は氷見市との境界近くの集落。二上山(ふたがみやま、標高274m)の南西2kmほど。
 小矢部川の小さい支流に沿って並んだ家並みの西、小高い位置に神明社がある。
 石段を登って行くと、参道の左手前に見えるのがこの杉。もうすこし奥、社殿の右手前には目通り5.9mの杉も立っている。これら2本が高岡市指定の天然記念物である。
 いずれも、枝を整理した跡が見えるが、その他には枯枝もなく、樹勢は良さそうだ。




長野県長野市の御神木

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名称 七二会守田神社の神木
   (なにあいもりたじんじゃのしんぼく)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 40m/40m(注2)
目通り幹囲 4.6m/4.6m(注2)
推定樹齢 いずれも300年以上(注2)
所在地の地名 長野県長野市七二会守田乙
 〃 3次メッシュコード 5438-70-46
 〃 緯度・経度 北緯36度37分23秒
           東経138度04分56秒
長野市指定天然記念物(1985年2月9日指定)
撮影年月日 2002年6月30日

七二会(なにあい)とは変わった地名だ。これは、明治9年(1876)に、瀬脇村などの7ヶ村と、村に準じて扱われた古間・坪根が合併した際、「七二会村」と名付けたことによる。9年に9ヶ村では「9=苦」に通じると考えたものか。
 守田神社は旧県社で、祭神は守達神ほか6神。「角川日本地名大辞典」によれば、貞観元年(859)12月14日に「信濃国无位守達神」は従五位下(のち従四位下)を授けられている。
 御神木の2本のスギは参道入口の石段の両脇に立っている。双子のように揃った2本だ。




山梨県富士吉田市の御神木

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名称 北口本宮富士浅間神社のヒノキ
   (きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃのひのき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ヒノキ
樹高 33m(注2)
目通り幹囲 7.7m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 山梨県富士吉田市上吉田
 〃 3次メッシュコード 5338-16-63
 〃 緯度・経度 北緯35度28分14秒
           東経138度47分33秒
富士吉田市指定天然記念物(1992年9月1日指定)
撮影年月日 2002年12月27日

拝殿に向かって右手前に立つ大ヒノキ。
 2本の融合木のように見える。途中から2本の太い幹に分かれ、真上に向かって伸びているが、地上約12mのところで再び上写真のように交差している。まるで互いに寄り添おうとしているかのような姿だ。そのため、「富士夫婦檜」と呼ばれて親しまれているようだ。
 合着木ではあるが、案内板によれば、ヒノキとしては山梨県下最大のヒノキであるという。
 拝殿に向かって左には県指定天然記念物の「富士太郎杉」がある。このヒノキは、太郎杉とともに両翼を固める守護神のように思える。
 訪れたのは年末。神社は、正月の参詣者を迎える準備に入った。境内にはあちこちにテントが設置されていた。




群馬県前橋市の御神木

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名称 総社神社の社叢けやき
    (そうじゃじんじゃのしゃそうけやき)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 26m(注2)
目通り幹囲 6.2m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 群馬県前橋市元総社町
 〃 3次メッシュコード 5439-40-63
 〃 緯度・経度 北緯36度23分16秒
           東経139度02分18秒
前橋市指定天然記念物(1997年4月21日指定)
撮影年月日 2008年7月20日

発掘調査の裏付けがあるわけではないが、むかし、この辺りに上野国府があったらしい。のち、その跡地に蒼海城(おうみじょう)が築かれた。上野国守護代長尾氏の惣領的立場にあった総社長尾氏が国府跡を城郭化したもののようだ。(平凡社「群馬県の地名」を参考にした) 住宅地となった現在の景観から、かつての姿を想像することはできそうにない。
 案内板によれば、総社神社の創建は平安時代末期。蒼海城築城より古い。
 祭神は上野国14郡の鎮守10社と摂社の神々を迎え祀ったもので、その数549柱。神体は、それらの名を記した「上野国神名帳」(県指定重要文化財)。まさしく「総社」神社なのである。
 慶長年間(1596~1615)に建立された県重文の本殿をはじめ、多くの文化財を擁する神社でもある。境内のあちこちに立つケヤキ(6本)も、市天然記念物。
 最大のもの(写真の個体)は、拝殿に向かって右側。神楽殿(?)の手前に立っている。
 樹勢がよく、境内の中央付近まで、大きく枝を伸ばしている。




神奈川県鎌倉市の御神木

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名称 八幡宮の大いちょう
   (はちまんぐうのおおいちょう)
名称の典拠 「神奈川県の文化財」(注1)
樹種 イチョウ
樹高 20m(注2)
目通り幹囲 6.7m(注2)
推定樹齢 伝承1000年(注2)
所在地の地名 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目
 〃 3次メッシュコード 5239-74-84
 〃 緯度・経度 北緯35度19分32秒
           東経139度33分22秒
神奈川県指定天然記念物(1955年8月30日指定)
撮影年月日 2002年9月14日

鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)境内、石段の脇に立っている。
 承久元年(1219)1月27日夜、鎌倉3代将軍源実朝が、八幡宮別当であった甥の公暁(くぎょう)に襲われ、斬り殺された。今日風に満年齢で数えれば、実朝26歳、公暁18~19歳。頼朝に始まる源家の将軍職が、わずか3代、27年弱で終わってしまったのである。
 伝承によれば、襲撃の前に公暁が隠れていたのがこの木だとされている。ために「公暁の隠れイチョウ」の名もあるようだ。
 伝えられる樹齢は、この伝承を考慮したと思われるが、その当時、まだ日本にはイチョウが渡来していなかった、という説が有力なようだ。木のサイズから見ても、それほど年老いた木には見えない。公暁伝承はいつ頃から人口に膾炙するようになったのか、興味深いことである。

追記:2010年3月10日午前4時過ぎ、折からの強風にあおられ、根元から倒壊してしまった。(参詣者のいない時間だったのは、不幸中の幸いだった)




埼玉県熊谷市、高城神社の御神木

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名称 高城神社の御神木
    (たかぎじんじゃのごしんぼく)
名称の典拠 なし (私が勝手に命名)
樹種 ケヤキ
樹高 11m(注1)
目通り幹囲 6.3m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 埼玉県熊谷市宮町2丁目
 〃 3次メッシュコード 5439-13-71
 〃 緯度・経度 北緯36度08分42秒
           東経139度23分12秒
記念物指定等 なし
撮影年月日 2004年11月23日

熊谷市役所の南西300mほどに高城神社がある。案内板によれば、延喜式内社で、祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)。縁結び、安産の神という。
 鳥居をくぐった所に、玉垣に囲まれて立つ御神木がこれ。主幹はとうに失われ、地上5m付近から、多くの細枝が出ている。ある意味、年老いたケヤキの典型的な姿である。
 幹には大きな空洞ができている。というか、皮だけで生きている姿だが、表皮の凹凸のコントラストに、長老の威厳が感じられる。
 位置から想像すると、かつては大きな樹冠を広げ、参道全体を覆わんばかりの壮年期があったと思われる。
 境内裏手には、目通り5m前後のケヤキが3本立ち、樹勢も良いが、まだまだ貫禄はこちらが一枚上手である。
 暖かい小春日和の下、年輩の男女が数名、落ち葉集めをしておられた。清掃奉仕なのだろう。
 土地の人に愛されてきた神社であり、ケヤキであるようだ。