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名称 西海老坂神明社の大杉
(にしえびさかしんめいしゃのおおすぎ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 33m(注2)
目通り幹囲 6.9m(注2)
推定樹齢 200~299年(注2)
所在地の地名 富山県高岡市西海老坂
〃 3次メッシュコード 5537-10-30
〃 緯度・経度 北緯36度46分47秒
東経136度59分51秒
高岡市指定天然記念物(1969年10月11日指定)
撮影年月日 2003年5月4日
神明社の御神木。
西海老坂(にしえびさか)は氷見市との境界近くの集落。二上山(ふたがみやま、標高274m)の南西2kmほど。
小矢部川の小さい支流に沿って並んだ家並みの西、小高い位置に神明社がある。
石段を登って行くと、参道の左手前に見えるのがこの杉。もうすこし奥、社殿の右手前には目通り5.9mの杉も立っている。これら2本が高岡市指定の天然記念物である。
いずれも、枝を整理した跡が見えるが、その他には枯枝もなく、樹勢は良さそうだ。
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2012年7月22日日曜日
長野県長野市の御神木
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名称 七二会守田神社の神木
(なにあいもりたじんじゃのしんぼく)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 40m/40m(注2)
目通り幹囲 4.6m/4.6m(注2)
推定樹齢 いずれも300年以上(注2)
所在地の地名 長野県長野市七二会守田乙
〃 3次メッシュコード 5438-70-46
〃 緯度・経度 北緯36度37分23秒
東経138度04分56秒
長野市指定天然記念物(1985年2月9日指定)
撮影年月日 2002年6月30日
七二会(なにあい)とは変わった地名だ。これは、明治9年(1876)に、瀬脇村などの7ヶ村と、村に準じて扱われた古間・坪根が合併した際、「七二会村」と名付けたことによる。9年に9ヶ村では「9=苦」に通じると考えたものか。
守田神社は旧県社で、祭神は守達神ほか6神。「角川日本地名大辞典」によれば、貞観元年(859)12月14日に「信濃国无位守達神」は従五位下(のち従四位下)を授けられている。
御神木の2本のスギは参道入口の石段の両脇に立っている。双子のように揃った2本だ。
名称 七二会守田神社の神木
(なにあいもりたじんじゃのしんぼく)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 40m/40m(注2)
目通り幹囲 4.6m/4.6m(注2)
推定樹齢 いずれも300年以上(注2)
所在地の地名 長野県長野市七二会守田乙
〃 3次メッシュコード 5438-70-46
〃 緯度・経度 北緯36度37分23秒
東経138度04分56秒
長野市指定天然記念物(1985年2月9日指定)
撮影年月日 2002年6月30日
七二会(なにあい)とは変わった地名だ。これは、明治9年(1876)に、瀬脇村などの7ヶ村と、村に準じて扱われた古間・坪根が合併した際、「七二会村」と名付けたことによる。9年に9ヶ村では「9=苦」に通じると考えたものか。
守田神社は旧県社で、祭神は守達神ほか6神。「角川日本地名大辞典」によれば、貞観元年(859)12月14日に「信濃国无位守達神」は従五位下(のち従四位下)を授けられている。
御神木の2本のスギは参道入口の石段の両脇に立っている。双子のように揃った2本だ。
山梨県富士吉田市の御神木
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名称 北口本宮富士浅間神社のヒノキ
(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃのひのき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ヒノキ
樹高 33m(注2)
目通り幹囲 7.7m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 山梨県富士吉田市上吉田
〃 3次メッシュコード 5338-16-63
〃 緯度・経度 北緯35度28分14秒
東経138度47分33秒
富士吉田市指定天然記念物(1992年9月1日指定)
撮影年月日 2002年12月27日
拝殿に向かって右手前に立つ大ヒノキ。
2本の融合木のように見える。途中から2本の太い幹に分かれ、真上に向かって伸びているが、地上約12mのところで再び上写真のように交差している。まるで互いに寄り添おうとしているかのような姿だ。そのため、「富士夫婦檜」と呼ばれて親しまれているようだ。
合着木ではあるが、案内板によれば、ヒノキとしては山梨県下最大のヒノキであるという。
拝殿に向かって左には県指定天然記念物の「富士太郎杉」がある。このヒノキは、太郎杉とともに両翼を固める守護神のように思える。
訪れたのは年末。神社は、正月の参詣者を迎える準備に入った。境内にはあちこちにテントが設置されていた。
名称 北口本宮富士浅間神社のヒノキ
(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃのひのき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ヒノキ
樹高 33m(注2)
目通り幹囲 7.7m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 山梨県富士吉田市上吉田
〃 3次メッシュコード 5338-16-63
〃 緯度・経度 北緯35度28分14秒
東経138度47分33秒
富士吉田市指定天然記念物(1992年9月1日指定)
撮影年月日 2002年12月27日
拝殿に向かって右手前に立つ大ヒノキ。
2本の融合木のように見える。途中から2本の太い幹に分かれ、真上に向かって伸びているが、地上約12mのところで再び上写真のように交差している。まるで互いに寄り添おうとしているかのような姿だ。そのため、「富士夫婦檜」と呼ばれて親しまれているようだ。
合着木ではあるが、案内板によれば、ヒノキとしては山梨県下最大のヒノキであるという。
拝殿に向かって左には県指定天然記念物の「富士太郎杉」がある。このヒノキは、太郎杉とともに両翼を固める守護神のように思える。
訪れたのは年末。神社は、正月の参詣者を迎える準備に入った。境内にはあちこちにテントが設置されていた。
群馬県前橋市の御神木
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名称 総社神社の社叢けやき
(そうじゃじんじゃのしゃそうけやき)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 26m(注2)
目通り幹囲 6.2m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 群馬県前橋市元総社町
〃 3次メッシュコード 5439-40-63
〃 緯度・経度 北緯36度23分16秒
東経139度02分18秒
前橋市指定天然記念物(1997年4月21日指定)
撮影年月日 2008年7月20日
発掘調査の裏付けがあるわけではないが、むかし、この辺りに上野国府があったらしい。のち、その跡地に蒼海城(おうみじょう)が築かれた。上野国守護代長尾氏の惣領的立場にあった総社長尾氏が国府跡を城郭化したもののようだ。(平凡社「群馬県の地名」を参考にした) 住宅地となった現在の景観から、かつての姿を想像することはできそうにない。
案内板によれば、総社神社の創建は平安時代末期。蒼海城築城より古い。
祭神は上野国14郡の鎮守10社と摂社の神々を迎え祀ったもので、その数549柱。神体は、それらの名を記した「上野国神名帳」(県指定重要文化財)。まさしく「総社」神社なのである。
慶長年間(1596~1615)に建立された県重文の本殿をはじめ、多くの文化財を擁する神社でもある。境内のあちこちに立つケヤキ(6本)も、市天然記念物。
最大のもの(写真の個体)は、拝殿に向かって右側。神楽殿(?)の手前に立っている。
樹勢がよく、境内の中央付近まで、大きく枝を伸ばしている。
名称 総社神社の社叢けやき
(そうじゃじんじゃのしゃそうけやき)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 26m(注2)
目通り幹囲 6.2m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 群馬県前橋市元総社町
〃 3次メッシュコード 5439-40-63
〃 緯度・経度 北緯36度23分16秒
東経139度02分18秒
前橋市指定天然記念物(1997年4月21日指定)
撮影年月日 2008年7月20日
発掘調査の裏付けがあるわけではないが、むかし、この辺りに上野国府があったらしい。のち、その跡地に蒼海城(おうみじょう)が築かれた。上野国守護代長尾氏の惣領的立場にあった総社長尾氏が国府跡を城郭化したもののようだ。(平凡社「群馬県の地名」を参考にした) 住宅地となった現在の景観から、かつての姿を想像することはできそうにない。
案内板によれば、総社神社の創建は平安時代末期。蒼海城築城より古い。
祭神は上野国14郡の鎮守10社と摂社の神々を迎え祀ったもので、その数549柱。神体は、それらの名を記した「上野国神名帳」(県指定重要文化財)。まさしく「総社」神社なのである。
慶長年間(1596~1615)に建立された県重文の本殿をはじめ、多くの文化財を擁する神社でもある。境内のあちこちに立つケヤキ(6本)も、市天然記念物。
最大のもの(写真の個体)は、拝殿に向かって右側。神楽殿(?)の手前に立っている。
樹勢がよく、境内の中央付近まで、大きく枝を伸ばしている。
神奈川県鎌倉市の御神木
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名称 八幡宮の大いちょう
(はちまんぐうのおおいちょう)
名称の典拠 「神奈川県の文化財」(注1)
樹種 イチョウ
樹高 20m(注2)
目通り幹囲 6.7m(注2)
推定樹齢 伝承1000年(注2)
所在地の地名 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目
〃 3次メッシュコード 5239-74-84
〃 緯度・経度 北緯35度19分32秒
東経139度33分22秒
神奈川県指定天然記念物(1955年8月30日指定)
撮影年月日 2002年9月14日
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)境内、石段の脇に立っている。
承久元年(1219)1月27日夜、鎌倉3代将軍源実朝が、八幡宮別当であった甥の公暁(くぎょう)に襲われ、斬り殺された。今日風に満年齢で数えれば、実朝26歳、公暁18~19歳。頼朝に始まる源家の将軍職が、わずか3代、27年弱で終わってしまったのである。
伝承によれば、襲撃の前に公暁が隠れていたのがこの木だとされている。ために「公暁の隠れイチョウ」の名もあるようだ。
伝えられる樹齢は、この伝承を考慮したと思われるが、その当時、まだ日本にはイチョウが渡来していなかった、という説が有力なようだ。木のサイズから見ても、それほど年老いた木には見えない。公暁伝承はいつ頃から人口に膾炙するようになったのか、興味深いことである。
追記:2010年3月10日午前4時過ぎ、折からの強風にあおられ、根元から倒壊してしまった。(参詣者のいない時間だったのは、不幸中の幸いだった)
名称 八幡宮の大いちょう
(はちまんぐうのおおいちょう)
名称の典拠 「神奈川県の文化財」(注1)
樹種 イチョウ
樹高 20m(注2)
目通り幹囲 6.7m(注2)
推定樹齢 伝承1000年(注2)
所在地の地名 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目
〃 3次メッシュコード 5239-74-84
〃 緯度・経度 北緯35度19分32秒
東経139度33分22秒
神奈川県指定天然記念物(1955年8月30日指定)
撮影年月日 2002年9月14日
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)境内、石段の脇に立っている。
承久元年(1219)1月27日夜、鎌倉3代将軍源実朝が、八幡宮別当であった甥の公暁(くぎょう)に襲われ、斬り殺された。今日風に満年齢で数えれば、実朝26歳、公暁18~19歳。頼朝に始まる源家の将軍職が、わずか3代、27年弱で終わってしまったのである。
伝承によれば、襲撃の前に公暁が隠れていたのがこの木だとされている。ために「公暁の隠れイチョウ」の名もあるようだ。
伝えられる樹齢は、この伝承を考慮したと思われるが、その当時、まだ日本にはイチョウが渡来していなかった、という説が有力なようだ。木のサイズから見ても、それほど年老いた木には見えない。公暁伝承はいつ頃から人口に膾炙するようになったのか、興味深いことである。
追記:2010年3月10日午前4時過ぎ、折からの強風にあおられ、根元から倒壊してしまった。(参詣者のいない時間だったのは、不幸中の幸いだった)
埼玉県熊谷市、高城神社の御神木
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名称 高城神社の御神木
(たかぎじんじゃのごしんぼく)
名称の典拠 なし (私が勝手に命名)
樹種 ケヤキ
樹高 11m(注1)
目通り幹囲 6.3m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 埼玉県熊谷市宮町2丁目
〃 3次メッシュコード 5439-13-71
〃 緯度・経度 北緯36度08分42秒
東経139度23分12秒
記念物指定等 なし
撮影年月日 2004年11月23日
熊谷市役所の南西300mほどに高城神社がある。案内板によれば、延喜式内社で、祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)。縁結び、安産の神という。
鳥居をくぐった所に、玉垣に囲まれて立つ御神木がこれ。主幹はとうに失われ、地上5m付近から、多くの細枝が出ている。ある意味、年老いたケヤキの典型的な姿である。
幹には大きな空洞ができている。というか、皮だけで生きている姿だが、表皮の凹凸のコントラストに、長老の威厳が感じられる。
位置から想像すると、かつては大きな樹冠を広げ、参道全体を覆わんばかりの壮年期があったと思われる。
境内裏手には、目通り5m前後のケヤキが3本立ち、樹勢も良いが、まだまだ貫禄はこちらが一枚上手である。
暖かい小春日和の下、年輩の男女が数名、落ち葉集めをしておられた。清掃奉仕なのだろう。
土地の人に愛されてきた神社であり、ケヤキであるようだ。
名称 高城神社の御神木
(たかぎじんじゃのごしんぼく)
名称の典拠 なし (私が勝手に命名)
樹種 ケヤキ
樹高 11m(注1)
目通り幹囲 6.3m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 埼玉県熊谷市宮町2丁目
〃 3次メッシュコード 5439-13-71
〃 緯度・経度 北緯36度08分42秒
東経139度23分12秒
記念物指定等 なし
撮影年月日 2004年11月23日
熊谷市役所の南西300mほどに高城神社がある。案内板によれば、延喜式内社で、祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)。縁結び、安産の神という。
鳥居をくぐった所に、玉垣に囲まれて立つ御神木がこれ。主幹はとうに失われ、地上5m付近から、多くの細枝が出ている。ある意味、年老いたケヤキの典型的な姿である。
幹には大きな空洞ができている。というか、皮だけで生きている姿だが、表皮の凹凸のコントラストに、長老の威厳が感じられる。
位置から想像すると、かつては大きな樹冠を広げ、参道全体を覆わんばかりの壮年期があったと思われる。
境内裏手には、目通り5m前後のケヤキが3本立ち、樹勢も良いが、まだまだ貫禄はこちらが一枚上手である。
暖かい小春日和の下、年輩の男女が数名、落ち葉集めをしておられた。清掃奉仕なのだろう。
土地の人に愛されてきた神社であり、ケヤキであるようだ。
東京都江戸川区東瑞江、豊田神社の御神木
所在地 江戸川区東瑞江1-18
旧下鎌田村の鎮守である。
創建は不詳であるが、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と経津主命(ふつぬしのみこと)をまつり、もと神明社といった。明治のしょきに同地にあった別当の長寿院が廃寺となったので、その跡に社殿を建立して「豊田神社」と改称した。
この神社は五穀豊穣の神として、近隣の人達にあがめられていた。その名残として、今でも9月27日には氏子達によって、感謝の祭りが行われている。
境内には、5本の大きな欅の木がある。なかでも御神木になっている欅は、樹齢2百年ともいわれ(幹の経150センチメートル、樹高23メートル)御神木にふさわしい樹形をなしている。昔はこの神木のそばに池があったというが今はその面影がない。
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